わりとまじめな生徒でしたね。学園祭では舞台の脚本を書いたり、映画を撮ったりしていました。小説も書いていましたが、それを友達に言うのは恥ずかしいし、見せる自信もない。そのうえ、家で小説ばかり書いていると、周囲から“何しているのかわからない謎の存在”になる。学校の先生にも「君は一体何をしているんだ」と言われていました(笑)。
自分がもやもや妄想しているものを形にして、いつでも誰でも体験できるようにしたい、という気持ちでしょうか。小説で「何かを訴えたい」とかではなく、とりとめもない断片的な思いつきを小説という「形」にすることで、実感できるものとして残したい―。そのことだけに夢中になっていましたし、今でも小説を書く動機として、その根底は変わりません。
小説家は大変ですよ(笑)。小説家になったとしても、食べていけるか、続けてけるかは、自分の努力の問題だけではなく、めぐりあわせや、読んでくれる人がその時代に大勢いたとか、さまざまな要因がありますから。
ですが一つ言えるのは、いろいろな体験を積んでほしいということ。小説家になりたいからといって小説だけ書いていても、世界が狭くなってしまいます。僕も学生時代に小説家としてデビューしましたが、大学は農学部で、大学院で研究室にも入り、卒業したら国会図書館に勤め、小説を書きながら働いていました。いろいろな体験をして、失敗を経験すると、小説もとても味わい深いものになります。
自分もそうでしたが、失敗するのって恥ずかしいですよね。で、ついつい失敗しない範囲で止めてしまう。でも、高校や大学時代にこそ、なんでもいいから小さい失敗を積み重ねてほしいと思います。失敗して、「なんで失敗したんだ?」と考えているときに、自分がどういう人間で、何に向いているのかを知ることができる。失敗は、想像していなかった自分や弱点などを見つけるために大事なことです。だから、「失敗を経験しないと、なかなか自分という人間が見えてこないから、恥ずかしがっているともったいないよ」と伝えたいですね。
ありがとうございました!
進路を「自分で決める」のは勇気がいるけれど、自分の気持ちに正直な選択なら、困難も乗り切れるもの。
キャリタス進学で、「本気になれること」にとことん向き合える場所を探してみよう!