ブロを演じているときは蜷川幸雄先生の影響は全く感じず、蜷川実花監督は突き詰めたものを全てビジュアルに昇華する方なのだと思っていましたし、この映画を表現するなら「極彩色の映像作品」といったキャッチフレーズがつくと思います。でも、ストーリーの中でこれだけ人が死ぬのに、徹底して「生きる」「生きろ」というテーマが流れている気がして、そんなところは幸雄先生譲りの「蜷川印」のハンコが押された作品だと思いました。
映画では、自分の居場所がない、必要とされていないと思い込んでいるヒロイン・オオバカナコが、殺し屋のもとで「生きる」という目的を見出していきますが、武田さんご自身がこれまで「行き詰まった」とか、「開けた」と感じたことはありますか。
自分に何ができるのかフラグも立てていないのに、「自分は必要とされていない」みたいな悩みって贅沢すぎると思うんです。周りから必要か必要でないかとか、それが分かりながら自分を進化させて生きていくような器用な人なんて、僕はほとんどいないと思う。時代に置いて行かれてもいいから、何か思いきり追求していたら、いつか開けるのかなと。人知れず努力する時期があっていいと思うし、絶対どこかで誰かが見ていてくれるから。
周りからどう見えるかを気にしていたら一歩も前に進めないし、自分に都合の悪いマイナスの評価さえ、自分が立ち止まる理由にしなくていいんだと思っています。
何かしようとして何かを始めたら、何かを捨てることになるから、人って偏った人間になるんですよね。でも偏り続けたら一周回って普通になるっていうか。途中でやめたら偏ったままで終わっちゃう。それが嫌でなにもしなければ、人がやってることに悪口を言うだけの人生が待ってますよ。
マルチに見える人も、やりたいことを追求して、偏りながら一つ一つ自分のものにしていくから、最終的に色々な能力を手に入れられるんじゃないかな。レーダーチャートに例えれば、最初はいびつな三角形だったとしても、そこに少しずついろいろな能力が加わって6角形になって、いつの間にか12角形、24角形、360角形…、あ、丸になってる、みたいな。だから最初から丸になろうとして小さくまとまる必要はないし、その瞬間瞬間は他のことは忘れて偏るだけ偏って、まっしぐらに努力していくことが大切だと思います。
ありがとうございました!
進路を「自分で決める」のは勇気がいるけれど、自分の気持ちに正直な選択なら、困難も乗り切れるもの。
キャリタス進学で、「本気になれること」にとことん向き合える場所を探してみよう!